【愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶの時代生とともに意味が変わっている現状、逆も然りではないか?】
どうも!おはようございます!管理人です!
パースにいた時に比べて日本の空は雲が流れていて、大気の流れを感じることができるのですごく新鮮です。
今回のテーマは私が国際問題について直接相手の国の方とお話した際に感じたことについてまとめて行きます。
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”愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶの時代生とともに意味が変わっている現状、逆も然りではないか?”
です!
時刻は19時過ぎ。パースの空はまだ子供が元気にバスケットボールができるほどに明るくその時間から私たちはディナーで日本食屋に足を運んでいました。
そこで同居人の中国人留学生2人と香港人留学生。計4人で日本食屋の奥の座敷に案内された直後、意表をつくような質問が相手の口から放たれたんです。
”香港デモについてどう思います?”
私自身過去に直接国際問題に対してその問題に直結している自国の方と面と向かってお話したことなんて一度たりともありませんでしたし、その時の私の頭の中ではしっかりと言葉を選ばなければ相手の国に対して無礼になってしまうなど、頭の中には問題以前にどう相手を傷つけることなく自分の言葉を伝えようかと考えるばかりで言葉を喉につまらせてしまう。
その時に感じた。
『コレが生感覚の国際交流の一環かもしれない。』
全体像を把握しそこからフラットに物事を分析しそれを相手に伝える。
とても難しいことだがなんとか突破しました。
そこで私は以前勉強した経済論で有名なビスマルクの名言である”愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ”を思い出し、本当にその視点だけで満足していいのか疑問に思いました。
この言葉通りに物事が行けば知識だけを自分の中に詰め込み、それをアウトプットすることを忘れているように思えます。
もちろん、歴史(データ)に基づいて対話することはとても重要なことです。
データを等閑(なおざり)にしてしまえば、発言に対して信憑性が出ませんし、それは信頼にも関わってきますしね。
しかしその逆をつけば実体験(経験)を踏まえなくてはそれはただのデータとして帰結してしまいます。
データをデータではなく実体験という結果にまで落とし込んでこその経験なのにもかかわらず、ここを軽く考えている人が多いのも確かです。
最近でよく言われている意識高い系とかですね。
さて、ここまで記事を見て下さった方の大半がこう思ったことでしょう。
”結局どっちなんだい?”
答えは簡単です。”どちらも”です。
なぜなら実体験まで持っていくためには相手のことを知らなければならないし、相手国や文化・思想について知っていたとしても、面と向かってその事に対し議論しなければ机上の空論に他なりません。
私の記事では多くこのようなことを書いていますが、全てにおいて言えることは日本人の良い特性です。
私の思う日本人の素晴らしい特性は”曖昧”だと思います。
物事を濁すだけではなく、交渉をうまくいかせたり戦略としてもうまく使われたりします。
その反面今の日本に足りないものがあります。それは
”柔軟性”です。
日本人の曖昧さとこの柔軟性の歯車がうまく噛み合ったその時に日本は今よりもっと面白くなるはずです。
日本をハックするにはこの柔軟性が必要不可欠になってくるのでしょうね。
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