自宅自粛期間で”手間”が最高のひとときを与えてくれたって気づいた話
どうも。みなさんおはようございます。
”おはようございます”とは言ったものの現時刻はもうすぐで時計の針が3を示そうとしているそうです。深夜3時です。
なんでそんな時間から”おはよう”なんだよ!っと思われた方もいると思います。
実は以前も記事に書いたんですが。”おはよう”って友達や家族、恋人様々な人に平等にある気がするからなんです。
え!じゃあ”こんにちは”とか”こんばんは”もみんなに平等に与えられるじゃん!
こう思う方も少なくないでしょう。
確かに”時間”という観点から見れば”こんにちは”や”こんばんは”も”おはよう”と時間帯が違うだけで意味合い的には挨拶であり一緒です。
僕が思うのは時間という観点ではなく。
”心と心の距離”です。
はて?どういう意味かな?
わかります。でも納得いくと思います。
みなさんは家族に向かって”こんにちは”とか”こんばんは”とかいいますか?
これはおそらく僕だけなんでしょうけど、僕は言いません。
なぜなら家族なのに他人のように感じてしまうからです。
もっと心の距離が縮まってもいいはずなのに挨拶1つだけで蚊帳の外というか、こうどことなく疎外感を感じてしまいます。
だから僕はどの時間でもおはようっていいたいんです。好きなんです。
さて、話が大幅にそれましたね。
今回私が思ったテーマはタイトルにある通り。
手間を僕たちは省いて生きてきたけど、自粛期間中に時間ができ、その手間すら愛せるようになった。というテーマです。
みなさんは自粛期間中何をしていましたか?新しい取り組みを始めた人もいると思います。他に特に何もしてない人もいることでしょう。
そんな中僕は”手間”を楽しんでいました。
例えば〜普段掃除しないところまで掃除したり卵かけご飯の作り方を工夫して白身でメレンゲを作ってふわふわTKGを作ったり。ダルゴナコーヒーを作って見たり。
一見してみれば手間というのか?と思っちゃうものが多くありますが、普段時間に追われている人にとってはTKGなんて割って醤油かけて口に掻き込む!!!ってなると思います。
それは時間に追われていた頃だと思いますが、今は時間を私たちが追う側になってますね。
その時間を手間を省くというだけで短縮するのもありだと思いますが、その普段”手間”だと感じていたことをやるいい機会だと思うんです。
例えばそれが土鍋/飯盒(はんごう)でお米を炊くとかでもいいです。
普段ならお米をといで水を入れてスイッチを押す。
この単純な手順で済みますが。飯盒ではそうはいきません。僕も体験したことがありますが、火力が強すぎてもだめ、バランスを見ながらさらには飯盒の中の状況を予測したり、何か棒のようなもので振動を感じそれで焚き加減を確認したりなど項数が多すぎるんですよね。
でも今なら、その手間をする気量さえあればできるはずです。
すると、自分の当たりまえだった炊飯器。洗濯機などに対して感謝の気持ちが出てきます。
ありがとう”タイガー”ありがとう”象印”ありがとう”日立”ってね。
馬鹿げた話に聞こえてしょうがないと思いますが一度やって見てください。
その手間がこの記事を見ているあなたの普通に彩りを添えてくれるはずです。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
じゃあな!