【屋久島で学べたどう生きるかでなく何を残すのかの重要性〜なんのために生きるのか?〜】
ども!みなさんおはようございます管理人です。
夏の日差しを直に浴びて少し日焼けした管理人です。
今年の夏私は学校の動向で鹿児島からフェリーで4時間の屋久島に言って参りました。
私自身も初めての屋久島だったのですがその中でなぜ、宮崎駿は屋久島に心打たれてもののけ姫を産んだのかを考えながら森の中を散策し、その中で今の私たちにも共通する”自然との対話”をダイレクトに体現しています。
さて今回のテーマはこちら!”屋久島で学べたどう生きるかでなく何を残すのかの重要性〜なんのために生きるのか?〜”
です!
ちなみにみなさんは、屋久島はご存知ですか?
あの有名なジブリ作品もののけ姫の舞台や千と千尋の神隠しの千尋の名前の由来となった滝がある世界的に影響を与えるジブリ作品がインスピレーションされた数少ない島です。
この屋久島なのですが、特徴として365日雨が降るとも言われるほど雨が多く自然がそのまま残っているが故に川の水が非常に澄んでおりその水を島民が守り続けているからこそ作り上げられたものというような感じがしました。
ここでタイトルに戻りますが、”どう生きるのかではなく何を残すか。”というものですがこれを感じたのは弥生杉を見るために登山していた時でした。
一生を終えた屋久杉やそのほかの樹がたくさん倒れていました。
その倒れたかも、人のようにどこに倒れるかなんてわかるはずもありません。
しかし、そこがすごいんです。
彼らは自分の一生を終えた後でもその朽ち果てた体に他の樹々のタネを宿しそのタネが芽をだし、すくすくと成長してるんですよ。
まるで、自分の一生は終えた、だから誰かにツナグというものをそこに感じ、屋久杉としてどう生きるのではなく、何を残すのか?ということを私たちに教えてくれたように感じましたし自然の美しさをそこから感じられた瞬間でした。
やはり、我々現代社会では自分との対話もままなりませんが、自然との対話も言えたものじゃない感じがしました。
やはり、圧倒的に洞察力がかけてきているのかもしれません。
ただ、屋久杉をみて凄いだけで終わらせてしまうような人は残念ながら感性の優れた人には思えませんし、そこから何かを読み解こうとするシコを感じられません。
その中で、隣の人が放った感想を自分もそう思いました。などとコピペするのではなく、その類似点や違う点など独自の視点を掛け合わせることこそ感性を鍛える方法だと思います。
その一瞬一瞬というものが永遠でないことを気づくのは若いうちには難しいと言われています。現に私のメンターからも言われましたが。
私は違います。
今いるその一瞬はもう帰ってこないんです。誰がどうなろうと過去は過去ですし、その時間をもう一度過ごすにはなん十億円とお金がかかります。それくらい今には価値があります。
『過去にとらわれず未来に不安にならず今を生きろ』
と堀江貴文さんはおっしゃっていましたが、まさにそうでしょう。
そして今を生きることにより、より自分自身と対話が可能となり自然とも対話できていくことでしょう。
是非みなさんも、今をどれだけ感じられるかそして、自分も人生に置いて何を残すことができるのか、この際ですから考えてみてはいかがでしょうか?
と!いうわけで今回は”屋久島で学べたどう生きるかでなく何を残すのかの重要性〜なんのために生きるのか?〜”というテーマで展開していきました。みなさんいかがだったでしょうか?ぜひこの一瞬をもっと大事にいきて何を残せるのかを考えてみましょう。