【なぜ可愛い子には旅をさせるのか?〜責任と親の役割 次世代型幼児教育〜】
ども!みなさんおはようございます!管理人です!
今回展開していく話題はこちら!
”なぜ可愛い子には旅をさせるのか?〜責任と親の役割〜”
です!
可愛い子には、旅を旅をさせよ!
とは言いますがぶっちゃけどうでしょうか?上手くこの言葉の意味を悪い方の理解をする人が増えて間違った使い方をしているように思えます。
昔とは意味が違ってきたことわざは他にもあり、例えば”犬も歩けば棒に当たる”などです!
今ではこの意味は、何かをしようとすると、それなりに災難がつきものである。
という意味ですが、昔は違います。
歩けば良い巡り合わせがあるというプラスの意味でした。しかし、時代の流れによって言葉は同じでも意味が大きく代わっています。
さて、本題に戻りましょう。
”可愛い子には旅をさせよ”
この意味は、もし、親がいなくなることに対する不安というものの現れにも思えます。
それが故に不安なんです。
その不安というものにどのように向き合っていくべきなのか?その心意気がこのことわざには隠されています。
不安を乗り切るには、無頓着に生きるのです。能天気に生きるのです。
不安があるのもそうですし、何か新しいことをする、発言をするという行動には必ずと言っていいほどアンチが湧きます。
そのアンチから何か言われて嫌な気持ちになることもあるでしょうし、最悪殺されるのかもしれ無いという状況にあることがないとは言えません。
ですが、思い出してください。
”犬も歩けば棒に当たる”のことわざを。
このことわざの反対は、歩かなければ棒には当たら無い、がしかし何にも巡り合わ無いし進みもし無い。
です。
殺されるかもしれ無いは、その時になって考えてもいいじゃないですか?
そんなこと言ってたら、今あなたがこの記事をみている時にスマホが熱をもち発火して火事で死ぬかもしれませんよ?
明治維新を起こした人々や、薩摩スチューデントなど、落ちたら死ぬという命がけの綱渡りを渡り切りました。
それでも尚いいや危ないから!と言って可能性を潰す親がいるのも確かです。
ここでの可能性とは、”失敗”です失敗は恥であるというような文化がはびこっていますが、何事も失敗から生まれています。
子供のうちに何か失敗しておくということを忘れたまま大人になるとまさに、自分の子供に対してこういうでしょう。
”危ないからだめ”
私自身も自分の甥に当たる二歳児とよく遊ぶのですが、何をするのかわかりません。
何か変なものを食べたりだとか、触ったりだとかします。
しかし、私は、甥が触るものやしたいことに対して命に関わる、もしくは致命的な傷を負うようななことはさせませんが、ガラスを割ることや、石を投げることなど一般的には危ないとされていることも私がみている前で周りに人や危ないものがないか?などと注意を凝らした上でアグレッシブなことはさせます。
改めて彼と遊んでいると本当にモチベーション高く生きているなぁと思うことがしばしばあります。
しかし、この自分が欲しいものは自分の力で全力で取りに行くという熱量も大人たちのいいように支配されていくことを考えるとすごく心が苛まれます。
元々はモチベーションも高いのに周りが生きたいように生かせてくれ無いというのが今の現状でしょう。
それ故に日本にはジョブズが生まれ無いのかもしれませんね。自分の子供が何に興味があるのか?
日々の生活の中で夢中になっているその一瞬をどれだけ邪魔せず打ち込ませることができるのかが必要なのかもしれません。
そのためには、獅子の心も必要になってきますね。
それこその可愛い子には旅をさせよだと思いますよ?
と!いうわけで今回は”なぜ可愛い子には旅をさせるのか?〜責任と親の役割 次世代型幼児教育〜”というテーマで話を展開していきました!
私自身まだ子供を養っているわけではありませんが、いずれかは持ちたいと思っています。
その時にどれだけうまく接することができるのでしょうか?
自分に問うこともありますがそのために嫁を探します。