思考をハックしていく ブログ

日々の様々な気づきや実体験、学んだことを発信していくブログです。

【現実と2次元を行き来していた幼少期〜幼少期の疑問点が未来的でもあると言うこと〜】

ども!みなさんおはようございます!管理人です!

 

夏休み中盤どのようにお過ごしでしょうか?私はスタバのシフトが終わってパートナーさんと話した後にいいなぁ…と余韻に浸りながら記事を書いてます(笑

 

そんなことはさておいて!!

 

今回展開していくテーマはこちらです!

 

“現実と2次元を行き来していた幼少期〜幼少期の疑問点が未来的でもあると言うこと〜”

です笑

 

向き合い

幼少期と向き合う

なんだろうか子に維持は今までの記事とは少し違って見えるかもしれませんがそれも仕方ありませんね笑。今回のテーマは私の幼少期の遊び方というものが少し癖があったので題材にしました笑

 

現実と二次元を行き来していたというのは、ゲームなどというある種電気的でありデータ的なものに心を惹かれていた時期もあったりカードゲームやフィギュアというようにフィジカル(直接触れれるもの)というのを行ったり来たりしてたってことです笑

 

でも、当時の感覚は割と今も残っていて、私生活の中にも、これは電気的だなぁとか、これはフィジカルなものでいいなぁとか、考えながらいきていると、よく感性が優れていると言われますが、あまりその実感はありません。

 

でも、この両極端な視点を持つことで日常生活の味方が大きく変わったと言うところは何点かあります。

 

まず、圧倒的にフィジカルなものに対するものの見方が変わりました。

 

例えば花火大会をあげましょう。

 

花火大会を有機ELでも8Kの画面んで見ようとも、その会場の空気感や花火が爆発する振動、火薬の独特な匂い、屋台の悶々とした灯などと言うように、その場にいないと感じられないと言うことが山ほどあります。

なので、電気的なものよりも自分のなかの感覚値が優れているように感じるんです。

 

そして次は、電気的・データ的に物事を見たらどんおようになるかです。

 

この例えで一番いいのは、ポケモンでしょうか。

私は幼い頃からゲームをしていましたが、そのゲームをしていたときの何か不思議な感覚を今も鮮明に覚えています。

 

なぜ、ポケモンに触れないのだろう、画面を触ってもそこには液晶があって自分のポケモンには触れることができない。

でも、カードゲームだったら実際に触れてザラッとしているなどと、肌身に触れて感じることができます。

じゃぁなんで自分はゲームしてるんだろうと考えたんです。

そして、自分の中で納得解を見つけ出したのです。それはどのくらいのスパンで保存が効くのか、もしくはどのようにして同じゲームの中で相手と違いを見いだすのかです。

 

カードの場合だと、そのカードの効果などは変えることはできません。しかし、ゲームではそのキャラクターを強くするも弱くするも可能ですし、データ的なので持ち運びにも適していますし、ゲームの画面以上の場所を必要としません。

 

それこそがデータ・電気的なものの良さだと幼少期の私は考えていました。

 

そして今ですが、その両方を兼ね備えたものが存在します。それはARであったり、VRであったりと言うものですが。しかし両者ともまだデータ・電気的です。

 

我々人類は目で脳を誤魔化せることはできましたが次は指の感覚などをアップデートすることでしょう。

 

その両者が交わった時に私が幼少期に思っていた問題点を解決したものが生まれるのかと思うと子供の考えることって割と未来的だったり、将来起こりゆる課題について悟ってるのかなぁと思う部分も多々あります。

 

幼少期の感覚って意外と大事なものなのかもしれませんね。

 

と、言うわけで今回は”現実と2次元を行き来していた幼少期〜幼少期の疑問点が未来的でもあると言うこと〜”

でした!

みなさんは幼少期の時の疑問などはありますか?

実はそこにみなさんが将来的に解決する課題が隠れているのかもしれませんよ?