【なぜ非行少年は減らない?彼らを心理学的視点でみてみよう〜嫌われる勇気〜】
夜明けってなんでこんなにも心地がいいのでしょうか?
ほぼ全ての生物が寝静まり世界がレム睡眠に入っているこの時間が私はとても好きです。
何もかも時間が止まっていて自分しかこの世界にはいないのではないのか?と思うほどの静寂がそこにはあります。
もしかすれば私が夜更かしが好きな理由は今時間が恋しいからなのかもしれません笑
安定のポエム調での話のずれから始まりますどうも管理人です!
今回のテーマはこちらぁ!
”なぜ非行少年は減らない?彼らを心理学的視点でみてみよう〜嫌われる勇気〜 ”
です!
この記事をみている方で僕、私で非行に走ったことがありますよって方はいますか?
ではなぜ非行に走るのでしょうか?
その理由を辿れば、事の発端がわかるわけで、ただ感情的に感情論だけで語っても意味がありませんね。
しかし、感情なしに語っても人間味がありません。
そこで出でくるのが今回のサブタイトルである嫌われる勇気です。
これは本のタイトルですが、この中に非行に対する見方が記してあります。
そこからこの問題について紐解いていきましょう。
まずアドラーは人間問の優越性の追求という普遍的な欲求があると見ています。
それが、問題行動の原因となっているではないのでしょうか?
ちなみに、優越性の追求とは、例えるのなら
- 向上したいと思う気持ち
- 理想の状態を追求する
このような欲求のことです。一見してみれば非行とは待ったう持って無縁のように感じますが、この状態が悪い方向に進んでしまったら非行になるんです。
このことから幼少期の段階で非行に走るのかどうかが変わってくるってことです。
ここで重要になってくるのが、この時(幼少期)に子供はどう思っているの?というところですよね。
アドラーはここで幼少期に子供は”特別に良くなろう”と思っているると語っています。
言われてみれば、何か大人に対し自己啓示欲とまではいきませんが、何か作ったり学んだりした際や、親の言いつけも守る、勉強スポーツに精を出す自分から何か手伝うなんてときにはどこかしらか、褒めてもらいたい、特別でありたいというものをヒシヒシと感じますね笑。
先ほども似たようなことを言いましたが、親から認めてもらいたい、所謂承認欲求のようなものが強くなるわけです。
子供は褒めてもらうために必死にコミットするようにするんです。
では、もし、それが叶わなかったらどうしますか?
なんとここでアドラーは、”一転して状態が悪くなる”つまりは、特別悪くあろうとするわけです。
では、なぜでしょうか?なぜ今までは良い意味での”特別”が今では悪い意味での特別になるのでしょうか?
それは、目的が一緒だからです。
『え!?良いと悪いとじゃあ正反対じゃんバッカじゃねーの!!!』
と思われた方もいることでしょう。
そこではありません。
”特別”がここでのキーワードです。
ちなみに特別ってなんですか?
アドラーは特別であることとは、”他者の注目を集め普通から抜け出すことが特別である”と言っています。
この”特別”というのが目的なんです。
そして、先ほども言ったように悪い意味で特別にあろうとするというのは、健全な努力を回避したまま他者の注目を集めることを言います。
これをアドラー心理学では”安直な優越性の追求”とい言っています。
例えるなら授業中に消し消しゴムを投げたりするいわゆる授業妨害ですね。
このような行動に共通して言えることは”その場限り“という事です。
ではその場限りで特別になれる行動を幾つか紹介します。
・不登校
・リスカ
・未成年飲酒喫煙
です。
このどれにもに当てはまるのが注目されることを中心に考えていますし、最近世間を騒がせたバイトテロなどもそれと同じような匂いがします。
自分の存在を誰かに見て欲しい。楽して有名になりたいなどという考えが故だとは思いますが。。。
誰かを困らせてそれと同時に自分が特別であろうとする。これこそが非行にはしてしまう理由なんです。
では、どのようにして子供達と向き合っていけばいいのかは簡単ですね?
ではどのように関わっていけばいいでしょうか?ぜひみなさんの感想に方法を添えてコメント欄で教えてください。