【”前編”アドラー心理学から紐解く”信じる”ってなんだろう?〜無償の愛の正体〜】
ども!今私は、久しぶりに稲穂が見たくなり祖母の家に顔を出しておりますどうも管理人です。
この記事を見ている人の中で匂いとかで何かを思い出すとかってありますか?
よくよく考えてみれば犬って情報のほとんどを嗅覚からの情報だけ”そこに誰がいる!”や、”これがご主人様だ!ということを区別してますが我々人間の”死”の概念と犬の”死”の概念は大きく違うように感じます。
簡潔に言えば人間のばいいの死であれば、心臓が止まった時点で死とみなします。
しかし犬はそうでしょうか?その人の匂いが言えてなくなるまでそこに亡くなってしまった人は存在するんです。
なんか感動しますよね。”死”という概念は生物によって変わってくるよということなんですよね笑
安定の話の脱線からのスタートですがみなさんどのようにお過ごしですか?
今回展開していくテーマはこちら!
”アドラー心理学から紐解く”信じる”ってなんだろう?〜無償の愛の正体〜”
です!
さてみんな大好きでたまらないアドラーですが、今回んもテーマはタイトルにある通り”信じる”ということです。
ちなみに皆さんにとっての”信じる”とはどのようなものですか?
今回は今の質問のに答えることのできなかった人でもあっというまに答えられるようになるので楽しみに見ていってください!
まずこの”信じる”ですが、これは大まかなくくりであって大きく2つに分けることができます。
まず1つ目は信頼です。
信頼と言えば仕事や学校でも友人との信頼関係や、恋人同志にも信頼関係ってありますね。
これらの共通点として言えることは他者を信じるにあたって一切の条件を付けないことです。
つまりは、信用に足る客観的根拠がなかろうと信じる。無条件に信じる。ということなんです。
ここでおそらくごく少数の方はこう思われるでしょう。
Q『え!?もうそれ宗教じゃね?』
A『いいえ全然違います。』
その理由としてはここでアドラーが伝えたかったこととは、信頼というものが対人関係をよくするために横の関係を築いていくための手段であると伝えたいんです。
余談ですが、信頼の反対はご存知ですか?
なかなか日常会話の中では使わない言葉になるので知っている方は少ないと思いますが、”懐疑”です。
これも簡潔に言えば『疑いながら生きる』ということです。
本当に真反対ですよね笑
では次は信じるのもう片方の意味です。
2つ目は信用です。
これは皆さんの身近にあるものです。
例えば何か購入する際にクレジットカードは使いますか?
私はまだ使ったことはありませんが、あれこそ信用の具現化と言っても過言ではないでしょう。
先ほど紹介した信頼とは打って変わって真逆の何か証明できる条件が必要になってきます。
ここまでをまとめると信じるというものは大きく分けて信用と信頼に分けることができる。
その違いは信じるにあたって何か条件が必要なのかそうでないのかという違いといったところですね。
さて今回はここまでです!導入と言った程度に前編という形で展開していきました!
みなさんにとっての信じるってなんでしょうか?ぜひコメント欄で教えて欲しいです!
次の投稿をお楽しみに!それでは!