【生まれて初めてインスタントの白米を食べてわかった複雑性の重要性】
ども!皆さんおはようございます!管理人です!
今は通学中の電車に中で記事を書いています笑
場所を選ばずともできるというところがブログの良い点ですよね!
自分のアイデアや考えがまとまったらそこをまとめることができるし!
という感じでブログのよさを語ったところで今回のテーマはこちら!
”生まれて初めてインスタントの白米を食べてわかった複雑性の重要性”
です!
『え!?初めて食べたの!?』
『はい初めてです。』
その理由も鹿児島で米などは昔から田んぼで育てていたので、買ったお米を食べるという習慣がないのと、それ故にレンチンのインスタントご飯なんて食べたことなかったんですよね。
で、今回生まれて初めて友人の家で食べたって話ですが、やはり自家製のお米を食べているということもあり大きな違いがありました。
それは圧倒的に単一なんです。
それも、ただ単一というよりは米に含まれているデンプン成分などの雑だがそこが旨味の根源というところが完全に削ぎ落とされているような感じがしました。
その時に思ったのが、完全というものを勘違いし始めると良いところも削がなければならないということです。
レトルト米は”米”としては成立しています。
しかし、それは大量生産によってできた副産物。氷河期人類の欲求を素直に満たすための食べ物として成り立っているように見えます。
食について、そんなにうるさいなんて!と思う方もいると思いますが。
以前も紹介した記事にも書きましたが、本質的に良いものとよく見せたいと思ってるものは全然違うというのが私の見解です。
sutekinaikikata.hatenablog.com
食べ物もそうですし、その他のものにおいても複雑性というものが必要不可欠のように思えます。
そうしないと自分の中の感性も磨かれませんし、様々な物事に対して深く観察できなくなります。
するとどうなるでしょうか?
簡単です。騙されます。
これは日本のコーヒー産業が成功を収める理由とリンクするでしょう。
なぜ?オーストラリアからスターバックスが撤退したのでしょうか?
そこを深く考えればなぜ、複雑性、感性を鍛えることが必要なのかがわかってきます。
ちなみにオーストラリアからスターバックスが撤退した理由の1つは、オーストラリアに独自のカフェ文化が深く根付いていたからです。
その文化の中にはコーヒーの入れ方も違えば豆の種類、水洗方法、焙煎方にも大きな違いがあるのでしょう。
だからこそ、スターバックスが入る隙がなかった訳です。
それに対し日本はどうでしょうか?日本独自は確かに存在しますが、最近取り上げられているものは日本独自のものは少なく感じます。
タピオカもそうですし、チーズドッグもそうです。
日本独自を見つけるためには、どこに複雑性を置き、他の国が介入できないほどのオリジナルを見つけるべくですね。
もう一度ガラパゴス化しませんか?。日本。
という訳で今回は”生まれて初めてインスタントの白米を食べてわかった複雑性の重要性”というテーマで展開していきました!
皆さんは食べ物を食べた時にどのように感じながら食べていますか?
もしよければコメント欄でシェアしたください!