【人生の無駄を有意義な時間に変えてくれたたった1つの方法とは?〜無駄をどう楽しむ?〜】
ども!皆さんおはようございます!管理人です!
私は今敬老の日の午前8時頃から行きつけのカフェに入り浸りながらこの記事を書いています。
みなさんは、家でなんでもする派ですか?
お判りだと思いますが私は家では集中できないタイプの人間です笑というか、何か自分の身銭を切らないとその分の元を取るというような動機が私にはあっているような気がします笑
といった感じで休日を有意義に過ごそうと朝から記事を書いてる管理人ですが今回展開していくテーマはこちらです!
”人生の無駄を有意義な時間に変えてくれたたった1つの方法とは?〜無駄をどう楽しむ?〜”
です!
皆さんは人生の無駄について考えたことはありますか?
私はものすごい考えていました笑
このことについてメンターからももっと人生の無駄を楽しみなさい、と度々言われてきました。
しかし、私自身どうしても無駄なことが許せなかったんです。なので、友人付き合いがあまり上手くいかないんですよね笑。
そこで、どのようにして無駄を楽しむか?ということにフォーカスを当てて自分なりにやってみました。
例えば、今までだと、友人と飲みにいくよりも、1人で本を読んでいた方がいいし、合理的だ。などと、考えて基本友人関係からはある程度の距離をとっていました。
そこで、私が行動に起こしたのはもっとも基本的なクラスメイトを飲みに誘うというもんもでした。
これが割と上手くいって自分含め7人ほど集まり、自分でも少し戸惑っていますが、自分が感じをしたのでそこの責任もあったりします笑
まぁそんなこんなで、飲みの約束をしたり、今まで”無駄”と言って虐げていた存在とそのようにして向き合うことが重要なのか?という自分なりのアンサーがでました。
それは、無駄に意味付けをする。
以前も、ものを大切にするためには、”自分のものに対して意味付けをすることが重要である”という記事を以前紹介しました。(貼っときます
sutekinaikikata.hatenablog.com
これと全く同じ思考で、自分が今まで無駄としていたものをどのようにいて、意味のある。”価値あるもの”にしていくのか?というところが肝ということに気づいたこの瞬間ですね。
これこそが無駄を楽しむ極意だと自問自答ですが気づきました。
何かしら日常の中で起こる全ての物事が意味のあるもので、それでいて価値あるものに姿を変える訳です。
例えるなら、そこらに落ちている石が見方を変えるとダイヤだった!というようなことと等しいでしょう。
それほどにまで、自分の思考というものが人を支配するということを改めて知るよい機会でした。
もし、この記事をみているあなたが、自分の身の回りには、無駄なものしかない、という視点から、自分が無駄だと思っていたあの瞬間にはこれだけの価値があったんだと気づけるはずです。
そうすれば日々の生活の一瞬一瞬に色が添えられ人生に彩りを与えてくれるかもしれませんよ?
と!いうわけで今回は”人生の無駄を有意義な時間に変えてくれたたった1つの方法とは?〜無駄をどう楽しむ?〜”というテーマで展開していきました!
次回の記事をお楽しみに!それでは!